斎藤 金吾(さいとう きんご、1859年4月27日(安政6年3月25日) - 1941年(昭和16年)6月12日)は、明治から大正時代の政治家。大地主。衆議院議員(1期)。
経歴
豪農・斎藤安右衛門の長男として出羽鶴岡藩領田川郡、のちの山形県田川郡播磨村(西田川郡播磨村、栄村を経て現鶴岡市)に生まれる。同村加藤良磨に学んだのち鶴岡の中台元について漢籍を修めた。1881年(明治14年)戸長役場に入り、1889年(明治22年)町村制施行と共に栄村助役、1893年(明治26年)同村長に就任する。この間、1891年(明治24年)には西田川郡会議員に当選し、郡制廃止まで33年間在任。1895年(明治28年)からは山形県会議員となり3期務めた。1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では山形県郡部から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
粗忽な性格ながら農事、教育、兵事など各方面に功績を残し、1925年(大正14年)瑞宝章を受章した。1923年(大正12年)には鶴岡の郡役所前に銅像が建てられたが、1942年(昭和17年)太平洋戦争で金属供出となった。墓所は播磨勝伝寺、同地には彰徳碑がある。
栄典
- 1897年(明治30年)4月1日 - 木杯一組
脚注
参考文献
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139。
- 庄内人名辞典刊行会 編『新編庄内人名辞典』庄内人名辞典刊行会、1986年。

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