下奥井駅(しもおくいえき)は、富山県富山市下奥井2丁目にある、富山地方鉄道富山港線の駅である。駅番号はC30。
歴史
- 1927年(昭和2年)6月1日:富岩鉄道の駅として開業し、旅客の取扱を開始する。
- 1930年(昭和5年):貨物の取扱を開始する。
- 1941年(昭和16年)12月1日:富山電気鉄道富岩線の駅となる。
- 1943年(昭和18年)
- 1月1日:社名変更により富山地方鉄道富岩線の駅となる。
- 6月1日:国有化により鉄道省(国鉄)富山港線の駅となる。一般駅であるが、集貨及び配達の取扱は行わない。
- 1946年(昭和21年)7月1日:集貨及び配達の取扱を開始する。
- 1969年(昭和44年)10月1日:手荷物及び小荷物の配達取扱を廃止する。
- 1972年(昭和47年)10月2日:旅客、手荷物、小荷物及び専用線発着車扱貨物を取扱う駅となる。
- 1974年(昭和49年)10月1日:旅客、荷物及び専用線発着車扱貨物を取扱う駅となる。
- 1982年(昭和57年)11月15日:専用線発着車扱貨物の取扱を廃止する。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取扱を廃止する。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 2006年(平成18年)
- 3月1日:西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅としては廃止となる。
- 4月29日:富山ライトレールの駅として再開業する。
- 2020年(令和2年)2月22日:富山ライトレールが富山地方鉄道に吸収合併されることに伴い、再び富山地方鉄道の駅となる。
駅構造
LRT化後
千鳥式ホーム2面1線の地上駅であり、下奥井踏切を挟んで上下ホームがある。
ホームは低床ホームとなっており、旅客上屋等の設備が設けられている。LRT化後の富山港線の各駅及び各停留場においては、各電停の旅客上屋壁面を「個性化壁」と称して駅周辺の文化や歴史を伝える意匠を施しているが、当駅においては山口久美子がデザインを手がけ、当駅旧駅舎がモチーフとなったイメージグラフィックが掲出されている。当駅における個性化壁の協賛企業は、富山化学工業である。
花壇が設置されており、近隣住民や富山県立富山聴覚総合支援学校の生徒、富山化学工業の社員等によって整備されている。
のりば
※同じ線路を用いるため、「方面別のりば」となっている。
普通鉄道当時
単式ホーム1面1線をもつ地上駅であった。かつては列車同士の行き違いが可能であり、相対式ホーム2面2線の構造を有していたが、撤去された。
貨物取扱
当駅における貨物取扱は、1982年(昭和57年)11月15日に廃止された。廃止時には専用線発着車扱貨物に限定されており、全盛期の1970年(昭和45年)度においては発着合計3万4821トンであったが、1981年(昭和56年)度には6295トンまで減少していた。廃止後の貨物は富山駅か富山港駅で取扱うこととされた。
1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。
- 道益産業線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁)
1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった。
- 大谷製鉄線(通運事業者等:日本通運及び富山通運、動力:私有機関車、作業粁程:0.3粁、総延長粁程:0.4粁)
- 富山化学工業線(通運事業者等:富山通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.3粁)
利用状況
『富山県統計年鑑』によると、当駅における各年度の一日平均乗車人員は以下の通りであった。
近年の1日平均乗降人員は以下の通り。
駅周辺
- 富山化学工業富山事業所
- 富山県立富山聴覚総合支援学校(立山重工業青年学校跡地)
- 富山エフエム放送(FMとやま)本社
- チューリップテレビ本社
- 富山市立奥田小学校
- アルビス 奥田店
隣の駅
- 富山地方鉄道
- ■富山港線
- 奥田中学校前駅 (C29) - 下奥井駅 (C30) - 粟島(大阪屋ショップ前)駅 (C31)
かつて存在した路線
- 西日本旅客鉄道
- 富山港線(旧線)
- 富山口駅 - 下奥井駅 - 越中中島駅
脚注
参考文献
- 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編 『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』 TC出版プロジェクト、2006年、ISBN 4-916181-21-2、32-34頁、61-62頁。
関連項目
- 日本の鉄道駅一覧
外部リンク
- 下奥井駅 時刻予定表 (PDF) - 富山地方鉄道
- 下奥井駅 - 西日本旅客鉄道



