アルヴィン・ダーク(Alvin Ralph Dark、1922年1月7日 - 2014年11月13日)はアメリカ合衆国の元メジャーリーグベースボール選手、監督である。オクラホマ州コマンチ生まれ。
経歴
ルイジアナ大学ラファイエット校時代、野球だけでなくアメリカンフットボールでも活躍し、1945年のNFLドラフトでフィラデルフィア・イーグルスから指名されたが、兵役後野球を選択した。
1946年にボストン・ブレーブスと契約、7月14日にデビューしこの年15試合に出場した。
翌1947年はマイナーAAAでプレーし、1948年からメジャーに定着した。
1948年、ダークは遊撃手として137試合に出場、打率.322、3本塁打、48打点を記録、新人王に選ばれた(この年までは両リーグ通じて1名が新人王に選出)。またMVP投票でも第3位となった。
1950年にニューヨーク・ジャイアンツへ移籍、1951年と1954年のワールドシリーズに出場した。1955年にルー・ゲーリッグ賞の第1回受賞者となった。
1956年途中にセントルイス・カージナルスへ移籍、1958年途中にはシカゴ・カブスへ、1960年にフィラデルフィア・フィリーズへと移籍を繰り返し、1960年途中から古巣ブレーブス(当時はミルウォーキーに移転していた)へ戻り、同年限りで引退した。
通算14シーズンで1828試合に出場し7219打数2089安打.289、126本塁打、757打点を記録した。
1961年ジャイアンツの監督に就任、翌1962年にはナショナルリーグ優勝を果たし1964年まで務めた。1965年にシカゴ・カブスで1年コーチをした後1966年からカンザスシティ・アスレチックスを2年、続いて1968年から1971年途中までクリーブランド・インディアンスを率いた。1970年と1971年はゼネラルマネージャーも兼任した。1974年にオークランド・アスレチックス監督に就任し1974年のワールドシリーズを制した。翌年も地区優勝を果たしたがこの年限りで退任。
1977年、シカゴ・カブスのコーチとなったがシーズン途中の5月29日よりジョン・マクナマラに代わりサンディエゴ・パドレスの監督に就任。しかし48勝65敗の不成績で、ナショナル・リーグ西地区の5位に終わる。翌1978年、アリゾナ州ユマでのスプリング・トレーニングでは合同キャンプを張った日本のプロ野球チーム、ヤクルト・スワローズを指導したがオープン戦を4勝8敗、6連敗中だった3月21日に監督を解任された。監督としては13シーズンで1950試合に指揮を執り、994勝954敗勝率5割1分の成績を残した。
2014年11月13日、92歳で死去。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
- 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す
表彰
- 新人王:1948年
記録
- MLBオールスターゲーム出場:3回(1951年、1952年、1954年)
- ワールドシリーズ出場:3回(1948年、1951年、1954年)
- ルー・ゲーリッグ賞:1955年
出典
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com




